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前号では、何れも沖縄県にとっては好ましくない出願についての報告だったが、次に紹介するケースは、これらとは事情を異にする。瑞 泉 関東地方に住んでいる人々にとって、瑞泉と言えば、花と文学で名高い臨済宗円覚寺派の「瑞泉寺」を思い浮かべる人が多いであろう。鎌倉には、建長寺、円覚寺のほか、露座の大仏で知られる高徳院、駆け込み寺として名高い東慶寺、あじさい寺とも言われている明月院等、京都や奈良のように多くの寺院があるが、その中で瑞泉寺は、早春の梅・水仙、秋の秋明菊・紅葉、冬の山茶花等・・・四季を問わず首都圏から訪れる人で賑わい、私も紅葉の時期に訪れたことがある。この瑞泉寺に由来する商標「瑞泉」の商標を日本酒について初めて取得したのは奈良県柏原市のK酒造場で、古く明治時代の中期である。 一方,沖縄県の人々は「瑞泉」について問われると、恐らく下戸でも泡盛の銘柄を挙げる人が殆どで首里城の「瑞泉門」を思い浮かべる人はごく少数ではないかと思われる。沖縄では、戦前、泡盛は量売りで販売するのが普通で、現在のように容器にラベルを貼った泡盛が販売されるようになったのは、かなり後年になってからのことで、酒の商標というよりもサカヤーの屋号のようなものだったようである(*1)。(*1)瑞泉酒造株式会社の初代社長・佐久本政敦氏著「泡盛とともに」によると、同社の前身は、明治20年(1887年)に喜屋武幸永氏が首里崎山に開業したサカヤーで、瑞泉の銘柄は喜屋武酒造から受け継いだものということであるから、130年も使われて来たことになる。佐久本氏は、同書において、銘柄について「量り売りだった当時は、どこの酒屋でも特別な銘柄は必要なく、「泡盛」の表示だけで十分だった。ただ、鑑評会のような時には、それぞれのサカヤーで銘柄を付けることがあり、そのような場合に、先代・喜屋武氏は「瑞泉」の名前を使用していた。」と述べておられる。 昭和52年12月15日に発行された商標公報に「瑞泉」の商標が出願公告となっているのを発見した私は、当初は「ちんすこう」や「シークワーサー」の出願公告と同様に、沖縄の著名産品の剽窃だと思い、発明協会沖縄県支部の宮城事務局長に直ちに知らせたところ、当時,ご存命だった佐久本政敦氏から直接電話を頂き、色々と尋ねたいこともあるので、会社に来て貰えないかとのことで、首里の会社をお訪ねした。お目にかかって泡盛そのものの説明や歴史等を伺い、出願公告に対し異議申立をすることとなった。帰京後、直ちに特許庁に赴き出願書類を閲覧したところ、この商標は鳥取県のT酒造場の出願にかかるもので、なんと沖縄県復帰の6年以上も前の昭和41 年10月22日に出願されており、悪意の出願ではないことが判った。また、出願から出願公告まで10年以上もかかっていることについては、次のような事実が判明した。即ち,この出願を担当した審査官は既登録の商標「瑞泉」を発見したので、これを引用した拒絶理由通知を発した。出願人が引用された商標「瑞泉」の権利者について調査したところ、商標権者は、当時、事情があって使用知財徒然草美ら島沖縄大使(弁理士)新 垣 盛 克(3) 連載略歴昭和4年2月7日生まれ。昭和23年より東京高等裁判所に勤務、裁判所書記官として知財関係訴訟事件を担当しながら昭和37年に弁理士試験合格。沖縄県に弁理士が1人もいない頃から、沖縄県内の知的財産権保護に尽力した。長年、沖縄県発明協会が主催している「発明くふう展」の審査委員を務める等、沖縄の特許に関する普及啓発に深く関わっている。寄 稿OKINAWA INDUSTRIAL FEDERATION NEWS 6