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概要

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発明くふう展  毎年,秋に開催されている沖縄の産業まつりは、今年は新型コロナウイルス感染の拡大防止のため奥武山公園での開催は行われないこととなり、第49回目の発明くふう展は中止とのことである。出展を希望していた方にとっては気の毒なこととなった。私が発明くふう展に関わるようになったのは昭和50年(1975年)開催の第5回目からで、平成21年(2009年)まで34年間続いた。 初めて参加した昭和50年の発明くふう展のことは鮮明に記憶している。出展作品は100点近くあったと思うが、低学年の小学生の展示を思わせるようなものから、高度な機械に至るまで正に玉石混淆で、これは大変な仕事を引き受けてしまったと、たじたじとなった。審査に携わる方は、農業試験場・水産試験場・建築士会の方、デザイナーの方など,専門の知識をお持ちの方もおられたが、新聞社の方や主婦連の会長など、特許は勿論のこと,技術についての知識をお持ちでないと思われる方もおられた。そういう私自身も、化学や電気等の分野については素人のようなものである。発明者には、一人当たり3分という説明時間が与えられていたのであるが、限られた僅かな時間内の説明は、発明者にとっては短かすぎて当然不満だったと思う。一方,説明を受ける側にとっては出展発明が100点あれば単純計算でも300分かかることになり、その間、ずっと立ったまま説明を聴くのであるから、体力の消耗は甚だしい。当初,元気で発明のポイントについて質問をしていた審査員も、中途からは疲れで無口となってしまうほどであった。そのような中で印象的だったのが元気で恰幅の良いご婦人の審査員で、日常,普通に目にするような物であっても、説明を聴きながら大声で「これ良いさー。」「この発明は良いさー。」の連発で、発明の評価がこの方の発言に引きずられるのではないかとの心配もあった。こうして全部の説明を聴き終えて会議室に戻り、審査員各人の意見発表となる。ここでも声の大きい方の意見に引きずられる傾向があり、既に市場で流通していることを知らずに褒めちぎる方もあったりして、このような状況の中で各審査員の推奨発明の中から多数決によって優秀作品が決められてしまっては「これが沖縄県の最優秀知事賞の発明か」と思われるようなものが賞に入る危険があった。そこで、受賞に相応しくない発明については、新規性・進歩性を具えていないことを、具体例を挙げて説明するように努めたので、大変疲れてしまった。各賞が決まって審査会が終わった後に待っている作業がマスコミ発表のための授賞理由の纏めである。選ばれた発明が必ずしも意に副うものではなかったものである場合、理由づけに苦労した。こうして、私の初めてのくふう展の審査は終わった。 翌年の審査会からは、このような経験から、発明協会の宮城事務局長と対策を検討した。その結果、本審査の前日に各分野の技術に詳しい方3,4名を選んで頂き、その方々と共に、審査会の前日に準備中の会場内を回り、事前に出展者からの説明を時間をかけて聴き、発明の内容をある程度理解した上で本審査に臨むこととした。そのため、本審査では、比較的妥当な発明が選ばれるようになった。しかし、このような予備審査ともいうべき行動を採っていることを他の審査員が知ると、自分たちは何のために審査員として名を連ねているのかと不快に思われる方もおられるのでは知財徒然草美ら島沖縄大使(弁理士)新 垣 盛 克(4) 連載略歴昭和4年2月7日生まれ。昭和23年より東京高等裁判所に勤務、裁判所書記官として知財関係訴訟事件を担当しながら昭和37年に弁理士試験合格。沖縄県に弁理士が1人もいない頃から、沖縄県内の知的財産権保護に尽力した。長年、沖縄県発明協会が主催している「発明くふう展」の審査委員を務める等、沖縄の特許に関する普及啓発に深く関わっている。寄 稿OKINAWA INDUSTRIAL FEDERATION NEWS 16