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琉球大学工学部工学科建築学コース助教 金城 春野連絡先: 琉球大学工学部後援会事務局天久和正(エネルギー環境工学コース)/神田康行(機械工学コース)〒903-0213 沖縄県中頭郡西原町字千原1番地TEL.天久和正(098-895-8624)・神田康行(098-895-8631)FAX.098-895-8636(機械工学コース・エネルギー環境工学コース 事務室)【E-Mail】kouenkai-office@ml.tec.u-ryukyu.ac.jp「規格住宅」戦後沖縄の応急プレハブ住宅琉球大学工学部後援会からのお知らせInformation kinjohrn@tec.u-ryukyu.ac.jp戦直後の沖縄で、地元建築家が設計した「規格住宅」とよばれるプレハブ住宅が大量供給されたことをご存知ですか? 規格住宅を設計したのは、沖縄建築士会初代会長の仲座久雄(1904-1962)、近年再注目されている花ブロックを普及させた人物としても知られ、首里城守礼門修復工事を始めとする文化財保護活動にも貢献した、郷土を代表する建築家の一人です。 規格住宅は、断面寸法が2×4インチ角を中心とした規格木材(ツーバイフォー材)を用いたプレハブ住宅で、米国海軍軍政府(当時の米軍政府)工務部において1945年11月30日に仲座久雄が設計を完成させた応急住宅です。どのようなプレハブ式であったかと言うと、7組の壁枠と8組の屋根トラスで構成され、工場にて部材を各型の組立台で釘止めし、トラックで運搬、現場で組み立てるというものです。現場の組み立ては女性等の未熟練者でも可能であったとされています。規格住宅は、幅2間半、奥行き2間の板間の部屋(5坪)に8尺6尺の土間の台所がついた、簡素な造りで、屋根は寄棟です。壁は板張りや米軍のテント地、屋根も茅葺やテント地で仕上げられることが多く、現地の状況に合わせて、仕上げ材が選択されていました。 住民による建設が容易であることに加えて、構造部材を供給し、仕上げ材は現場の状況に応じて選択できる、という手法は、限られた資材を最大限活用でき、大量かつ迅速な供給を可能にしました。その数は、供給開始の1 9 4 6 年1 月頃から終了の1 9 4 9 年末頃までの約4年間で、7 万5千戸以上に達し、これは、建設当初の人口7人あたり1戸に相当する数を建設したことになります。昨今、災害による応急仮設住宅が注目されていますが、戦後初期の沖縄の規格住宅からは、現代にも活かせる工夫が多数あるように感じます。図版 写真1:仲座遺族所蔵、写真2:図面を参照し製作終写真1 規格住宅(1946)写真2 図面再現模型写真3 トラック積載再現模型11 OKINAWA INDUSTRIALFEDERATION NEWS